波動

対面は
実に不便だ。
対面には
移動が伴うが、
移動には
物理的、時間的、金銭的に
少なからず費用がかかる。
さらに現在は、感染という
リスクも伴うことになる。

それでも
わざわざ対面を行う
とするならば、
そこには
「どうしても会いたい」
「会わずにはいらない」
といった強い衝動があるからなのだろう。
それは会うことの意味という次元を
超えているのだと思う。

そしてその衝動は、
会って同じ空間にいることで
目にみえない波動、さらには
反響や残響などを共有することに
他にはかえがたい
その瞬間以外には考えられない
生きていることの実感やよろこびを
得られるからだ。

そしてそれは
大部分が偶発的なものなのだけれど、
なんらかの新たな価値との出会いを
生むこともある。

そしてそのライブの経験は
すごい瞬間に
「立ち会った」
「居合わせた」
記憶として
いつまでも余韻が残り続ける。

会議であれ、
芸術や芸能であれ、
個人的な出会いであれ、
対面というライブが
どうしても
必要とされるのは、
やはりそれが
生というものの本質と
深くかかわっているからなのだろう。

それをライブ(「生きる」)と
名付けた人は
すごいと思う。

空気

昨日は
4月以来の
対面形式の
会議。

会場は
ホテルだったが
事務局が
持ち込んだ
アクリルボードで
個別に仕切り。

会場に来れない人は
オンラインで参加。

マイクも使ったので
聞き取りにくいことはなく、
案外スムーズに進行。

このような状況で
あえて対面形式の
会議が意味を持つのは
どういうときなのだろう。

オンラインの会議では
どうしても調子が出ない人も
いるかもしれない(いる気がする)。
さらに会議での合意を形成する過程で
アイコンタクトのようなものが
意見のすりあわせなどで重要な場合、
対面が必要になるときも
あるだろう。

ちなみにアイコンタクトについては
以前にも触れた。
https://genda-radio.com/archives/date/2020/07/06

このアイコンタクトは
ときに「空気」と呼ばれ
日本的な曖昧な意思決定として
批判もされる。ただそれが
流れを決定づけるほど
重要なこともあるのが
会議というものだろう。

特に大きな意思決定を
みんなの責任で行わなければならない
ときなど、
対面には一定の価値があると
思う(のだけれど)。

気になったのは
ホテルの会場案内に
こちらの会議名以外
一切なかったこと。

現状のきびしさを
まざまざと
見せつけられた気がした。

 

根多

昨日の
折々のことば
もたくさんの方が
お読みになったようで
反響を多くいただく。

そのなかで
「小ネタってなに?」
というものもあった。

鷲田さんは
小ネタを
日々の生活に潜む、
無理のない、
でもちょっと楽しい、
そんな(地域を知る)手がかり
と表現されていた。

詳細は
東大社研・中村尚史・玄田有史編
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』
東京大学出版会
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
の終章「危機対応と希望」
をお読みいただければと思う。

そのエッセンスは
以下などでも(前後続きあり)
紹介しています。
https://genda-radio.com/archives/date/2020/06/17
https://genda-radio.com/archives/date/2020/06/18

手帳

13年ほど前に
今後が心配される
病気のきざしが判明し、
やや大きな手術を
受けたことがある。

それ以来、
定期健診を受けたりしているが、
(しょっちゅう忘れるけど)
クスリは
かかりつけの病院に通い
比較的真面目に
毎日飲んでいる。

昨日もその日で
病院で処方箋を出してもらい
久々に通い慣れた
職場近くの
薬局に行く。

すると
ない。
お薬手帳が
ない。

4月末に
近所の薬局で
処方してもらい
そこでは手帳も
たしかにあった。

帰宅後
いろいろ探してみるが
やはりない。最近
いろいろモノがなくなるが
今度はお薬手帳か。

今も自然災害で
たいへんご苦労されている方も
多いが、持病をお持ちの方には
お薬手帳は持参必須というのは
よくわかる。

再発行してもらいに行こう。

現在、友人が大きな病気と闘っている。
無事の回復を祈っている。

 

髭断

今日は
4月以来
ずっと伸びていた
白黒まじりのヒゲを
剃ったではなく
切ってみた。

なんだか
少し軽くなった
気がした。

 

『中央公論』2020年8月号(7月10日発売)

http://www.chuko.co.jp/chuokoron/newest_issue/index.html

「戦後最大の休業者数 労働市場に何が起こったか?」
という記事を寄稿しました。

内容のベースは
5月末から6月初めにかけて
ここに書いていたものです
(なんだか懐かしい)。

7月上旬発売だと
締切が6月中旬になるので
このような感じになります。

内容は4月の激動の背景を
説明したもので、その後5月の
状況は、6月末に同じくここで
書いたものをご覧いただければ
と思います。

論壇誌、新聞、週刊誌などに
寄稿した場合、基本的に
見出しや小見出しなどは
自分でつくったものではなく
デスクという方ですとか、記事の担当者とか、
編集部が考えて決められることが多いようです
(もちろん多くではご相談はいただきますが)。

タイトルや見出しの傾向としては
内容全体を俯瞰したものが
選ばれるというよりは
内容のうち、
読者にインパクトの一番ありそうな所を
切り出して関心を誘う
といったことが多いような気がします。

ずいぶん前になりますが
ある大手の新聞と雑誌
(記憶のなかでも最低3回はあります)
に寄稿した内容に付けられた
見出しがあまりにもイヤで
変えてほしいとお願いして
ちょっとした喧嘩になったことがあります。
結果、どうなったかは、あまりおぼえていません。
いずれにせよ、若かったんです。

ちなみに自分で学術雑誌に書いた論文や
自分の著書や編著などの本の場合、
これまでタイトルはすべて自分で
考えたものです。

 

初物

今日は
はじめての
オンラインで
高校と中学での講演。

今まで支社などを一部
オンラインでつないで
会社で講演というのは
あったけれど、全面
オンラインは本当に初の経験だ。

回線が突然切れるなど、
万が一のときのために
(前例があるので)
担当の先生に
先生の携帯番号を事前に
オンラインで訊いていたら、
その番号が実は
生徒さんに丸聞こえだったり
(「大丈夫です」と笑っておっしゃって
くださったS先生、すみませんでした!)、
そもそも今日の大雨と土砂などの災害懸念で、
生徒さんが学校に来れずに中止になるのではないかと
やきもきもしたりしたが、
時間どおりにスタート。

しゃべっている最中は
生徒さんの表情がみえなくて
多少不安もあったが、
かわりに全体司会のN君が
ノートを取りながら
真剣に聞いてくれている姿が
ときおり見えていたので、
とても心強かった。
N君、ありがとう!

質問コーナーでも
たくさん意見を出してもらい、
いつものようにたじろき
しどろもどろしながら、
なんとか言葉をつむぎ出す。
まさにM状態。

それぞれの質問には
背景や理由があることを
あらためて感じる。

終わってみれば
あっという間の1時間ちょっと。
しいていえば、中継ありの
生放送のラジオという感じか。

心残りは、
現地で関係者と乾杯の
打ち上げができなかった
ことくらいなのだけれど、
こちらは当面おあずけで
またのお楽しみということで。

ご協力をいただいた
先生方、生徒さん、関係者の方、
みなさまに心より感謝しています。
ありがとうございました。

孤独

10代の頃、
ラジオかテレビの影響か
わからないが、
頭というか耳から
離れない歌が
結構あった。
それだけ歌に力が
あったのだろう。
というか、
歌しかなかったのかも。

そういうことは
最近あまりないな
と思っていたところ、
結構、今あたまのなかに
よく響いているのは
コレ。

https://www.youtube.com/watch?v=oQX53S_o9KM
https://www.youtube.com/watch?v=M_haJVZiS74

GORO
INOKASHIRA

視野

今朝も
テレビを
観ていたら
オリエンタルランドの
加賀見俊夫会長が
マスクをして
インタビューに答えていらした。

加賀見さんには
むかし、とある研究会で
ご一緒し、
たいへんお世話になり、
かつとてもよくしていただいた。

インタビューのなかで
ディズニーリゾートは
「平和産業」であることや
接触が基本であること、
これまでなんども危機にさらされてきた
ことなど、短い時間だったが
印象的な話をたくさんされていた。

その上で今後を語られる内容で
印象的だったのは、
ひとことふたこと
つぶやかれた
「アイコンタクト」
という言葉だった。

ソーシャルディスタンスだとか
物理的なコンタクトはむずかしかったり
距離は多少離れていたとしても、
アイコンタクトはできる。むしろ
離れているからこそ
これからはアイコンタクトがますます
大事になる。そんなお話しだった気がする。

それは舞浜で大切なのではなく、
どこであってもそうなのでないかと
思って、朝から腑に落ちた。

たとえば、スポーツでも、
良いプレーの背後にあるのは、
きまって多くの場合、
アイコンタクトだ。
即興でうまくいくチームには
信頼に裏打ちされたアイコンタクトがある。

以前、中学生の1週間にわたる
地域体験(トライやる・ウィーク)について
神戸で情報収集のようなことをしていたとき、
先生が、体験中の子どもたちが大人から
「目でほめられる」
ことで自信を持ったり、大きく成長すると
言われたのも思い出した。それは緊張を和らげる
アイコンタクトならでは、だろう。

マスクの上からのアイコンタクトは、
これからの新しいつながりの時代の
古くてそして新しい
大切な取り組みなのかもしれない。

オンラインの会議などでも
上手にコミュニケーションしている人たちの間では
アイコンタクトも、
うまくやっているような気がする。

たしかにアイコンタクトには
通常、読み取りなどの集中が必要とされたり、
視線を注ぎ続ける努力なども求められることも多い。

それはそれで
もちろん大切なのだろうが
もう少しゆるくて風通しのよい
アイコンタクトもあっていい。

視線とか視点とかいうが、
点や線は、結構つかれる。
これからの視野は
視面くらいでもいいのではないか。

集中しすぎず周囲を広めに見渡しながら
たまたま目に入ってくる偶然なども大切にしつつ、
そのなかで、なにかいいことがあったら
目でお互い感謝したり、支えあったりする。

アイコンタクトが
物理的に不可能なはずの
ラジオは、そう考えると
どことなくアイコンタクトに
通じる感じがする。
それは、遠からず近からず
ゆるく「投げかける」「受けとめる」
の関係性が、どこかで
似ているからかもしれない。

アイコンタクトって
面白いなと思った。